【追悼】加藤和彦「音楽でやるべきことがなくなった」うつ病で自殺。

| トラックバック(0)

音楽プロデューサー、加藤和彦の死・・・
突然の出来事でありながらも、今、思えば死を予感させる前兆はあった。
その前兆は音楽関係者、友人、知人などのコメントによって明らかになる。

加藤和彦は最近、仕事に行き詰まりを感じていたようで、うつ病に悩まされていた。
加藤和彦は、周囲の関係者に「死にたい...」と漏らしていたのだ。

また、加藤和彦は、生前に親族や親しい知人数人に"最期の手紙"を郵送していたことも明らかに。
関係者によると「音楽でやるべきことがなくなった」などに加え、死をほのめかす内容もつづられていた。

加藤和彦が自殺??・・・・

17日、長野県・軽井沢町のホテルで首をつっていた加藤和彦。
加藤和彦が発見された時は、普段着姿で乱れた様子はなかった。室内にはパソコンで印字された遺書らしきメモが2通あり、別々の関係者にあてたものだった。
遺書は「外部で購入した紙」(軽井沢署)に書かれたもので、長野県警軽井沢署は計画的な自殺とみているようだ。

katokazuhiko091018.jpg

加藤和彦 死去の報を受けた友人、知人、関係者達のコメントを次に示します。

★1990年代中盤に加藤和彦が所属していた事務所の関係者
「思い悩んだりするよりはポジティブな方だったので...」と思わぬ最期に言葉をなくした。

★元妻、中丸三千絵
「亡くなったと聞いてから、ずっと泣いています。最期まで素晴らしい音楽家だったと思います」と声を詰まらせた。
2000年の離婚後も連絡を取り合っていたが、数年前を最後に会っていなかった。
「本当に優しい人でした。つらいことがあっても口にせず、一人で抱 え込んでいました」。離婚は「お互い嫌いになったわけではなかった。(加藤さんは)そんな時でも『君は才能があるんだから、何があっても歌をやめちゃダメ だ』と言ってくれました」と振り返った。

★坂崎幸之助(55)
「あまりに突然のことで、言葉にならないし、信じられないというのが正直な気持ちです」。

加藤さんとは、9月20日に静岡のつま恋で行われた南こうせつのサマーピクニックで「和幸」として一緒にステージに立ったのが最後になってしまった。「そ の時は、ちょっとやせたように見えましたが、普段と変わらない様子でした。詳しいことはまだ分かっていませんが、大きな悩みを抱えていることに気付いてあ げられなかったことが、残念で仕方がありません」

「今は、ただ、加藤さんのやさしい笑顔を思い出しながら、冥福を祈るばかりです」

★井筒和幸監督(56)
「(最後に会ったのは)1週間ぐらいか10日ぐらい前。『ちょっと鬱(うつ)病なんだ』って言っていた。ふせっている様子だったけれど、ボクの前では笑顔だった」。加藤さんは「ものが考えられない。発想がわかない」と話したが、「深刻な様子ではなかった」という。

 思い出すのは「パッチギ!」で音楽を決めていく作業。「2人で鍵盤の前に座って...。目の前で『イムジン河』を弾いてくれるんだよ。楽しかった」としのん だ。「映画は彼に負うところが大きかった。それ以来、生涯のパートナーができたのに」と悔しさをにじませた。「彼は『映画も芸術、音楽も芸術』と言ってい た。先輩の遺志を継ぎたい」と誓った。

★はしだのりひこ(62)
「自殺という2文字がまったく似合わない男なので、『どうしたんや、おまえ』という思いが頭の中を駆け巡っている」と青春時代の苦楽をともにした加藤さん に呼びかけた。続けて「もうずいぶん会っていないが、昨晩寝る前に、彼のことを思い返していたところだった。突然すぎて、何と言っていいのか分からない」 と予期せぬ悲しい結末に心の整理ができない様子だった。

★松任谷由実(55)
「ショックを受けています。今は本当にそれだけです。心よりお悔やみ申し上げます」とだけ話した。加藤さんはユーミンの最新アルバム「そしてもう一度夢見 るだろう」の収録曲「黄色いロールスロイス」をプロデュースし、デュエットで参加。ユーミンがユーモアや大人の格好良さにあふれたライフスタイルを体現す る加藤さんをイメージして作詞作曲した曲で、激しいロックサウンドに仕上がった。現在行っている全国ツアーにも加藤さんが何度か飛び入り出演していただけ に、突然の死が信じられないようだ。

★精神科医の北山修(63)
現在、コメントなし ・・・・

★音楽評論家の富澤一誠
「常に最先端を走るパイオニアで、他のミュージシャンにも刺激を与え続けてきました。歌手の南こうせつは若いころに、加藤和彦さんの曲を聴いて、自分でも曲を作ってみようと思ったそうです。吉田拓郎の才能を見抜いたプロデューサーでもあり、吉田拓郎などにつながるフォークブームのきっかけを作ったともいえるでしょう。サディスティック・ミカ・バンドとして海外進出への道も切り開きました。音楽に対する絶対的な自信があり、二度と同じことはしないアーティスト。日本レコード大賞の会議で会ったときも、積極的に発言をしていました。いつも才能のある若い人を引っ張り上げようとしていた姿勢が忘れられません」

★アグネス・チャン
「あ~~残念。とっても悲しいです。命は限りあるものとわかっていても、仲間が先になくなるのはやっぱり寂しいもの。あ~自分の気持ちが表現できない。天国で、いっぱいいい音楽作ってくださいね。加藤さんのこと、忘れません。たくさん、たくさん、ありがとう!」

★ラッキィ池田
「僕はどう受け止めれば良いのであろう」「でも、必死に生きていらっしゃったのですね。
安らかに、おやすみなさい」

★お笑い芸人のなだぎ武
「一ファンとして、びっくりとともに、すごいショックです...」

★笑福亭鶴瓶(57)
「えっ!! まったく知らんかった」と絶句した。「加藤さんは神様みたいなすごい方で、フォーク時代から好きでした。僕も京都でフォークやってたから、会うと緊張して...。最近、しゃべれるようになったんですけど」と無念を隠し切れなかった。

★泉谷しげる(61)
ブログでコメントを発表。「オレは今日の昼ころ北海道ロケ中に報せを聞いて、本当に驚いた!加藤和彦さんが死んだ!?しかも自殺!?」と驚きを隠せない様子で、「トノバン(加藤さんの愛称)は、オレの中で~ひょうひょうと生きつづけるだろう。だから冥福なんか誰が祈るもんか!トノバン!また新しいアルバム一緒につくろう!」などと綴っている。

★木村カエラ
「突然のことで、まだ信じられませんし、なんと言えばよいか言葉も見つかりません。ご冥福(めいふく)をお祈りいたします」

★音楽評論家の湯川れい子
「去年のレコ大(レコード大賞)以来、お会いしていませんでした。先週、(東京都内のレストランで)ばったり会ったという人がいて、お元気そうだと、聞いていましたので、ひたすらびっくりしています。いつも明るく次の仕事、やりたいこと、やってみたいことばかりを考えていた方でした。常に前向きな話しかしたことがなかった。(妻の)安井かずみさんが亡くなったとき、(加藤さんを)励ます会をしたのですが、そのときも、私たちが心配するよりもお元気でした。だから、前向きに明るく生きられる方だと思っていました。そんな方ですから、(自殺するような)大きなトラブルを(心に)抱えているようには思ってもいませんでした。ただただ、びっくりしております」

★音楽評論家の田家秀樹
「英米のフォークやロックなど新しい音楽をいち早く取り入れた。日本のポップミュージックの基礎を作った」。音楽評論家の富沢一誠さんは「吉田拓郎の才能 を見抜いたプロデューサーでもあり、フォークブームのきっかけを作った。二度と同じことはしないアーティストでした」としのんだ


加藤和彦への追悼コメントはこれからも続くだろう・・・


加藤和彦が生前に親族や親しい知人数人に手紙を郵送し、「音楽でやるべきことがなくなった」などに加え、死をほのめかす内容もつづられていたようですが、受け取ったであろう親族や親しい知人達でさえ、まさか死に至るとは思っていなかったのかもしれない。

しかし、うつ病にかかり周囲には「死にたい」ともらしており、16日から音信不通状態となったことを心配した知人女性らが、各所に連絡し行方を捜していたのだ。

ちなみに、加藤和彦の私生活は、ミカ・バンドのボーカルを務めたミカさんと結婚し、離婚(1975年)。その後、作詞家の安井かずみと再婚(1977年)、1994年に死別。1997年にソプラノ歌手の中 丸三千絵と結婚したが、離婚(2000年)していた。

加藤和彦の音楽人生は、欧米の最先端のロックやポップスを取り入れた斬新な音作り、世代を超えた共演...。加藤和彦さんは戦後日本の音楽業界の最前線を走り続け、多くのミュージシャンに影響を与えた。

日本がまだフォークブームにわく中、興味はロックに・・・
ロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」を結成。英国ツアーも成功させ、日本 のロック草創期を代表するバンドのリーダーとして時代を牽引(けんいん)した。今年12月には映画「パッチギ!」の舞台で音楽を担当する予定だった。欧米の最先端のロックやポップスを取り入れた斬新な音作り、世代を超えた共演...。加藤和彦さんは戦後日本の音楽業界の最前線を走り続け、多くのミュージシャンに影響を与えた。

加藤和彦はソロとしても、「あの頃、マリーロランサン」をはじめとした良質のシティー・ミュージック作品を提示しながら、並行してプロデュース業も展開。ユニットとしては昨年末に小原礼、土屋昌巳、屋敷豪太と突如結成したVITAMIN-Qのデビュー・アルバム『VITAMIN-Q feat.ANZA』を、今年2月にはTHE ALFEEの坂崎幸之助とのデュオ、和幸のセカンド・アルバム『ひっぴいえんど』を立て続けにリリースし、4月に発表された松任谷由実の最新アルバム『そしてもう一度夢みるだろう』ではデュエット曲"黄色いロールスロイス"を披露するなど、近年はさまざまな形態で精力的に音楽活動を行っていた。

2009年12月には映画「パッチギ!」の舞台で音楽を担当する予定だった。


加藤和彦の音楽人生・・・

作品が完成した当時は実験的な試みと評されることも少なくはなかった。
それは加藤和彦の手掛けた作品は、日本では早過ぎたのかもしれない。
例えば、サディスティック・ミカ・バンドは結成早々、日本でヒットしたわけではない。
海外で高評価され、逆輸入した感じで再認識、評価されたのだ。
常に一歩リードして音楽界を牽引した一人であることは間違いない。

「音楽でやるべきことがなくなった」

加藤和彦は現代の音楽シーンをどのように感じていたのだろうか・・・・
今となっては知ることはできない。

ただし、人としての加藤和彦はどうだったのだろうか?
人生もやるべきことがなくなってしまったのだろうか?

加藤和彦は3度結婚しており、2000年に離婚した、ソプラノ歌手の中 丸三千絵とは数年前から会わなくなっていたということなのだが、うつを心配してくれていた知人らがいたはず。

ともかく、人生を終えてしまったのは残念としか言いようがないです。


尚、加藤和彦の葬儀・告別式は近親者のみの密葬形式で行われ、後日お別れの会を開催する。関係者によると、葬儀は19日に東京・港区内にある自宅近くの教会で行う予定。


【加藤和彦 関連記事】

【追悼】 帰って来たヨッパライの加藤和彦!サディスティック・ミカ・バンドなど大活躍!




トラックバック(0)

トラックバックURL: http://moresens.net/mt5/mt-tb.cgi/911

MoreSens.net   

ウェブページ

このブログ記事について

このページは、M-BROTHERが2009年10月18日 PMに書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「【追悼】 帰って来たヨッパライの加藤和彦!サディスティック・ミカ・バンドなど大活躍!」です。

次のブログ記事は「愛川ゆず季 芸能界引退企画は使えない!次は何?TBS企画倒れ?」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。