MSN産経ニュースは「外見で不合格はダメ?」というテーマについて、21日までに1576人(男性1266人、女性310人)から回答を得る。
質問は次の3点でYES、NOの2択形式。
- 「外見に問題があっても入学させるべきだったか」
- 「校長の処分は適切か」
- 「公立校はどんな生徒でも受け入れるべきか」
結果は次の通り。
1. 「外見に問題があっても入学させるべきだったか」YES=9%、NO=91%
2. 「校長の処分は適切か」
YES=45%、NO=55%
3. 「公立校はどんな生徒でも受け入れるべきか」
YES=6%、NO=94%
神奈川県立神田高校(現平塚湘風高校)は、面接で直接指導後に不合格ということではなく、校長が受験で来校してきた受験生の服装や態度を合否基準に示さず不合格にしていることが発覚、県教育委員会で問題とし、校長の処分と元受験生の一部に和解金を支払うことを県議会で可決したそうだ。
神奈川県立神田高校(現平塚湘風高校)では、合格ラインを越えていた22人について、願書受け付け時などに「まゆそり」など服装や態度について独自にチェックして不合格としていた。
入試ということでの合否では、どのような判断基準なのかが問われる。
筆記試験による点数は重要視され、内申書などの受験前の提出書類も判断材料となるだろう。
入学したい学校を受験するなら服装や礼儀などに気を使うのはごく自然なことに思えるのだが、「外見」というが合否判断されるならば、ある程度の基準のようなものがなければ、それにより不合格になった受験生にとっては納得いかないということも理解できる。
MSM産経ニュースのアンケート結果でも、「外見に問題があっても入学させるべきだったか」ということでは、NO=91%だ。
外見というものも、合否の判断材料にしてもよいのではということなのだろう。
ただし、例にあげられる神奈川県立神田高校(現平塚湘風高校)の校長の外見判断方法というものについては、賛否が半々であり、外見は合否の判断材料にするのは賛成だが、判断の仕方というものについては検討が必要と思われる。
外見や態度が悪いとされる生徒が入学後の学校生活により変っていくというのは、ドラマ「金八先生」や「ごくせん」「ROKIES」などで描かれており、ある意味理想のような育ちを表現している。
こんな先生ならいい!不良と呼ばれた生徒が学校生活により夢や希望に満ち溢れていく!
教育に携わる関係者なら、現実とのギャップを感じながらも、志ということでは、成績や外見などで合否判断せず、皆を受けいれ一人一人が、入学した当時とくらべてなにかしら「育つ」ことを望み、助力し、巣立っていく姿を見たいという気持ちもあるだろう。
ただし、理想と現実は多少なりとも異なる。
公立だとうと私立だろうと、生徒として受け入れる定員というものは限られている。
また学校を運営するということを考えれば、中退者が少なく、卒業後の生徒進路先なども意識し、いわゆる「優秀校」を目指すわけだ。
これは、学校側だけでなく受験生も受験生の親も意識することである。
そして、高卒で社会人になるとしても、受け入れさきであろう企業が、個人の成績しかり、学校の優劣というものも判断材料にすることは少なくはない。
そのようなことを考慮すれば、生徒も親も、そして学校側も「我が学校で学び育っていますよ」と自ら感じ、他者にも感じてほしいわけだ。
つまり、この学校はこんな感じの学校だというものは数値比較だけでなく、受験ということでは学校の選択を他校と比較しながら行っており、公立学校が"公"だから皆同じということでもないという価値観のほうが自然であろうと感じます。
そこで、個々に望むべき3年後の姿があって入学すべく受験するわけだが、「筆記試験の成績だけが良ければいいだろ!」と考えてしまうことには違和感がある。
学校というものはお金を払ってでも学ぼうとする場である。
無料でどうか学んでくださいというスタンスではない。
しかも、学んだり育つということを望んでいるのは、親や教師よりも生徒自身が望まなくては、意味がないのである。
しかも、学ぶということはある科目の成績を上げるということではなく、学校という共同生活の場で人との係わり合いというものも学ぶのである。
つまり、教員から教えてもらう学びもあれば、自主的に学ぶこともあるわけで、校内での自主的なことについては最低限学校の校則内で学んでいくということなのだろう。
受験で外見や態度について問題があっても入学すべきか?・・・・
外見や態度ついて問題???
何をもって問題とするかが問われるだろう。
受験生や受験生の親の家庭環境での価値観というものが、そのまま学校でもYESということではない。
社会人となればひろいろと経験することになるのだが、社会人という中でも業界や企業によっても、問題とされる価値観は異なることも多い。
郷に入っては郷に従え
受験生はまだ入学したわけではない。
もし、入学を希望し卒業まで望むのならば、自身が良しとする外見や態度ということだけでなく、合否判定者に悪い印象を感じさせないことも意識することも必要だろうと思う。
悪い印象を与えないということでも、「何が悪い?」というのは人には差異がある。
だが、「だいたい」「まあまあ」こんなものだろ!という感性は中学生で教育指導やら云々と少しは学んでいるだろうし、そういう感性というものも養うということも学びなのだから。
学業優秀でも人間関係は上手くいかないということを、度々見聞きします。
自分らしく生きる!ということも大切なことだとは思いますが、自分は一人で生きているというわけではなく、必ず他人との係わりがなければ生きられないということも意識しないと、他人に受け入れられない自分らしさ=生きにくいということになりますから。
何でもかんでも他人に従え!ということではありません。
ただし、自身がある郷に入ることを望むのであれば郷に従うということがないようでは、生きにくいでしょうし、受験ということでも面接があるようなら合格しにくいだろうし、卒業しにくくなるかもしれないということもあるでしょう。
また、受け入れる学校側も校長一人の判断とか、裏ルール的なことで判別するのではなく、る程度の判断基準をもうけるならば、大いに議論し公にしたほうがよかろうと感じました。
どのような外見や態度が問題となり教育が困難で範囲外とするのか?
教員もひとであり全能ではない。
さすれば、それぞれの学校によって受け入れる許容の度合いというのも現実的には異なり、向上させることは前提ですが、それでも合否ということで必要であろうと思われるのであれば、ある程度ということになるでしょうが、明確にすべきと思います。
校則で規定することでもよいかと。
何でもかんでも詳細に教えてもらわなければわからない!知らない!という時代の風潮というものを少々感じますが・・・・
逆に在校生に聞いてみたい!
どんな外見や態度が適当なのと・・・・


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